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私が離婚協議書作成の業務を取り扱うワケ 2部

行政書士の橋岡です。2部ということで、前回の続きから書いていきます。確か、中学卒業して高校中退、就職するも続かず自暴自棄になっていたところまで書いたと思うのでここからですね。このころくらいから父親への呪いにも似た感情はあまりなくなり、逆に父親と母親の間にはちゃんと【愛】はあったのか?自分は望まれて生まれてきた子どもだったのかと疑問に思うようになりました。大人になったら一度父親に会って一発ぶん殴ってやろうという思いは変わらずでしたが、生きていく事に必死で恨んでる暇はありませんでしたね。家を掃除していたら父と母が若いころにやり取りしていた文通が出てきて、父親の実家の住所がわかり(今思えば自分の原戸籍を取得すればすぐ判明した)、何度か手紙を送ったこともありました。返事は20歳過ぎたら会いたいといった内容だったような気がしますがよく覚えていません。ただ一つ、返事が来るだけマシなのかと感じたことだけは覚えています。ここから22歳くらいまでは本当に職をいろいろ転々としました。学歴不問で身体を使ってやれることはほぼすべて経験したかもしれません。ガソリンスタンド、現場仕事、引越し屋さん、ポスティング、通信教材のテレアポ、ジュエリーアドバイザー、新聞配達、派遣での工場労働、飲食店、パチンコ店ホールスタッフ、家電の配送なんかもやりました。自分探しの途中だった(←いわゆる無職)22歳のときに現在の妻と出会い、息子を授かったことが私にとっての人生の最大のターニングポイントでした。この子の親として、自分と同じ目には絶対に遭わせたくない、自分自身、子どもから呪われたくないという思いがあったので、自分探しなどという甘っちょろいことを言うのはやめて、ちゃんと一か所に根を張って生きていってみようと。父親にも会う決心がついたので、思い切って電話しました。私の記憶の中には父との会話はなかったので、初めてのように感じましたし、実際待ち合わせしたときも私は父がどんな姿なのかは一目ではわかりませんでしたが、やはり親なんですね。向こうから拡嗣だよな?と声をかけてきました。一度も忘れた事はなかったと、小さいころからあまり変わっていないからすぐにわかったよと言われてホテルのロビーで半泣きになったことを覚えています。約20年ぶりの再会で、会うまではぶん殴ってやろうと思っていましたが、ぶん殴れませんでした(笑)。結婚すること、息子が生まれることを報告し、数年に一度会うか会わないかですが、今でも交流をしています。離婚した際の詳細や当時の状況や気持ちを聞いてみたい気もしますが、過ぎた事をいつまでも言っていても仕方ないのかなと思いあまり追及はしていません。


さて、精神論はいいとしてこれから妻と息子とどうやって生きていこうか。仕事はどうしよう?と考えてしばらくはアルバイトしながら就職活動をしました。今思えば本当に私は運が良かった。いまでもそうですが、運だけはいいのかもしれません。中卒でなんの資格も大した経験もなかった私がそこまで就職活動に苦労することなくちゃんとした会社に就職できました。最初はアルバイトからの採用でしたがほどなくして正社員登用され、役職にもつき、それこそ大卒の子を部下や同僚に持ち、充実した日々を過ごしていましたが、やはり仕事は激務でしたが、なにより仕事が楽しかった。真面目に仕事をすることがこんなに楽しいのかと、仲間や上司、部下から頼りにされるってこんなに気持ちのいいことなのかと思いました。仕事に夢中になり、次第にいろいろな仕事を任されるようになり、残業が増え、家にいない時間が多くなったので当然、小さい子どもを抱えた妻と喧嘩が増えました。次第に家に帰ることが辛くなり、家にいるより会社にいる方が楽しくなり、望んで残業をしてわざと家に帰るのを遅くしたりしました。そうなってくるとやはりすれ違いが多くなり、【離婚】という文字が頭から離れなくなりました。家に帰っても窮屈なだけで休まらない、こんなはずじゃなかった。つらい。離婚したい。離婚届を役所に取りに行き自分が書くところだけ記入して置いて家を出ました。2週間ほど離れてみて、改めていろいろと考え、結婚当初の決意はどこへいったのか、自分はどうしたらいいのか、いや、自分はどうしたいのか、妻は私に何を望んでいて、私は妻に何を望んでいるのか。離婚というのはやはり夫婦の問題なので、子どもを離婚をしない理由にしたくありませんでした。考えている中でふと目についたのは妻から送られてきた私の荷物です。段ボール3箱くらいでしたが段ボールの中にまた小さ目の段ボールが入っていて、下着だとかネクタイだとかワイシャツ、肌着と細かく仕分けされていて、箱の見やすい位置にわかりやすく書いてくれています。これを見て私はなんと馬鹿な事をしたのかと、なんと馬鹿だったのかと涙が止まりませんでした。自分勝手に家を飛び出した私の事を気遣ってくれてここまでしてくれる・・・。自分が恥ずかしくなり、猛烈に反省しました。そしてそもそも私は家族を養うために働いているのだと思い出し、ただただ平謝りしたことは昨日のことのようです(笑)。ほどなくして妻とは和解し、離婚には至っていません。ですが、この出来事がのちの私の人生を大きく変えることになります。

さて、今回はここで区切ります。すごく簡略化して書いていますが、本当はもっといろいろありました(笑)。夫婦というのは本当にいろいろあります。長く連れ添っていればいた分だけ必ず何かありますし、常に円満ということもなかなかありません。まだまだ【行政書士】や【離婚協議書】というワードは出てきません。別にもったいぶっているわけではありませんよ(笑)。次回以降で少しずつ出てくると思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。それではまた。





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